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太古から未来ヘ 墨芸術に新たな地平を切り開く書家 妹尾華岑(せのおかしん)のオフィシャルウェブサイトです。

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識者の声

伝統的な書道技法を基本に踏まえつつ、書の既成概念を越えた独自の墨芸術を開拓し続ける妹尾華岑。その作品に対して識者から様々な声が寄せられている。ここではその一部を紹介する。

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時代を超えて古代文化と照応の書

“書”を追求することは、云うまでもなく物象を純粋に記号化し、抽象表現することである……という哲理をしっかり持った上で、妹尾華岑さんの書芸術は、書と絵画の境界を美事に外して実践されている。しかも伝統の格調ある書の魅力を探究し、しっかりと身に着けた古雅な美しさを含蓄ある運筆で示した「杜甫詩」には、時代と情景の詩内容を理解して到達した自詠書に匹敵する深い文学性を感じることができる。列石の古代遺跡の現場に臨んでシンプルに抽象表現した「ストーンヘンジ」も、古代人の意志と直に照応して端的に決めた、究極のアクションがひれきされて、コンテンポラリーアートで結実した。

長谷川 栄(美術評論家)
 

書に求められる技巧と熟練を越え、妹尾華岑は、伝統と現代性が同時に追求された非常に個性的な空間へと我々を送り込む。伝統的表現からピュアなグラフィズムまで、有無を言わせぬ勢いで、字義を凌駕する絵画的表現へと、我々を惹き込んでいく。
作品の完全に充足されたラインは、カマイユとグラフィズムを融合させ、強烈なイメージを創出する。彼女はそこに、独自の世界を創り上げていく。線と動きは確信で満たされ、内面からは力が溢れ、夢想と感慨に埋め尽くされる。誰もが不確かなものを自分の中に抱えるのに対して、伝統的技法を体得した彼女は、奇抜で、知的でありながら、情動的感性をも備えている。無難な道を避け、完璧なまでに美を有する世界を提示し、我々の眼前に想像と象徴への道を開いていく。
西洋的なものの見方を持ち、時に極めて抽象画に近い存在とも云える彼女の作品からは、現代アートとぴったり息の合った輝くばかりの道程が見える。そこに、魅力的な発見が生まれるのだ。

クリスチャン ビエ(フランス芸術家協会会長)
©株式会社 麗人社
 

研ぎ澄まされた造形美術の感性

書は一回性の芸術である。油絵や他の美術とは異なり、やり直しがきかない。一度筆をおろしたら、途中で見直すことができず、最後までいってしまう。この一回性の妙技に、書家は己の魂の全てを投入する。 妹尾華岑氏は師から離れて二十年程になる。ひとつの会派に留まらず、書の枠に縛られない自由な形で精力的に書の制作を続けている。「杜甫詩」。杜甫の五律「鼓角縁辺群、川原欲夜時……」がモチーフ。辺境の兵士の吹き鳴らす太鼓と角笛の音をうつし、かねて自己のよるべなきさまを詠っている。古典の研究も深い、優れた書技がすばらしい。潤渇、肥痩のリズム、韻きが粛々と美しく、縦の流れに意を注いだ一気貫通が特に秀逸。空間の把握が鋭い。構成に全く隙がない。「水」。淡いブルーの料紙に繊細なタッチで書かれ、日本的情緒の横溢する清らかな美しさは大変な魅力である。このシャープな造形センスは誰も真似はできない。

青木伸一(書道評論家)
 

チャンスオペレーションの浪漫作

書道と絵画の境界を大胆に外しながら、実に小気味良く果敢な抽象表現に挑んでいるまことに意欲的な書家である。もともと書はイメージの要約や記号化から発して、象形文字や神代文字、あるいは楔形を生み、やがて歴史時代に漢字や仮名へと発展した。そして再びシンプルな表意へと逆行しているのである。 また前衛絵画はアクションペインティングへと発展し遂には象徴・キネティック・ピュアリズムなど書と方向をひとつにしつつある。 さて妹尾さんはこうした歴史的な方向転換をふまえて自信満々で発表し期待される。 「雷鳴」は轟く閃光をストレートに豪快に打撃的筆触で抽象表現し、「龍姿」は龍の文字を解体し気迫でその軌跡を墨と金泥で再現している。「夢の中」は自己の夢の体験をモノローグ的につぶやき、「ストーンヘンジ」で古代列石のロマンを韻って愛くるしい作だ。

長谷川 栄(美術評論家)
 

鋭敏な造形センスの見事な表現

妹尾華岑氏は書の枠に縛られない自由な形で、現代書の新しい可能性を追求し、高きを目指して意欲的に書の制作を続けている。「天使の羽」。下に繊細な細線で、そして真ん中に柔和な淡墨の線で「羽」と書き、天界へ戻る天使の羽が優しく、巧みに表現されている。その壮快で優しい表現が見事である。「心燃ゆ」。手前に「心」字を重ねて筆を運び、空間の奥にメラメラと燃えるような美しいタッチ。筆者の心の内にあるイメージが、明るく簡潔に表現される。美しい造形に隙はない。清らかに澄んで深遠である。このシャープな造形の感性がすばらしい。

青木伸一(書道評論家)
 

彼女の世界は抽象か否か。
私は、妹尾華岑を2年前から知っている。数回に亘り、芸術家同士の貴重な時間を共有した。彼女の書は完璧であり、熟達した書の技巧の全てがそこにはある。生まれながらのアーティストである妹尾は、新たに生み出される作品の数々を観れば考察出来るように、技術と創造性、そして自発性を融合したいという欲求に駆られているのだろう。ここで紹介されている作品たちが、それを証明している。妹尾は猛烈な勢いで書と画の融合を実現しており、私はそれを非常に嬉しく思い、驚嘆さえしている。
彼女が持つ書の技術を持ってすれば、純然たる日本の伝統書に反する事なくその道を歩み続ける事が出来るだろう。しかし、どのような不思議な力が作用し、アーティストを違ったエクリチュール、いわゆる「画風」に追い立てるのか?彼女は決断し、既に新たな世界を提示しつつある。彼女の「自分らしさ」を、再び追い求めているのだ。観る者に愛と夢、実行力を与える正真正銘のアーティスト、それが妹尾華岑である。

クリスチャン ビエ(フランス芸術家協会会長)
©株式会社 麗人社
 

墨を基調に自在な表現

書家としての鍛練と感性をベースに、絵画の領域とを自在に往還して新鮮な作品を生んでいる俊英。掲出作はいずれも墨をベースにした抽象作品で、2点の着彩作品も墨作品も自然界からのインスピレーションを造形し、視覚化してみせる。「草木萌ゆ」は草木の芽生えの勢い、それは生命の発露でもあるが、多様で闊達な筆致でとらえ、「木洩日」は墨色の大樹に木洩日を緑の塊とし、そこに金彩の文字を配するという意表をつく。「宇宙からのメッセージ」は墨色も豊かに動勢を孕む。

中野 中(美術評論家)
 

文字群は超時代性を発信する

カリグラフィー(書道)からヒエログラーフェ(象形文字)へ、同時にヒエログラーフェからカリグラフィーへと自己表現の形象化を試みること、これがこの作家の独自な世界である。象形文字とも古代文字とも名付けがたい未知の文字が、のびやかな線で幾何学的なフォルムを幾つも形づくり、超時代的なメッセージを発信してくるようにも思われるが、それに追いうちをかけるように、大胆にして強烈な墨が右側から、それに下方から現出する。文字は一部、それに呑み込まれそうだ。文字群は現代という白日のもとにさらされながら、未知の力を示す。

佃 堅輔(美術評論家)
 

カリグラフィーは遥か昔から続く表現世界であり、西洋ではゴシック書体が、アラビアでは独自のアラビア・カリグラフィーが開花した。その中で、日本のカリグラフィーである書は感情表現の一つであり、日本に息づく伝統を継承し、我々に伝える。
喜ばしい事に妹尾華岑とはこれまで幾度となく語り合う機会があった。その中でも既に言及した事であるが、彼女は伝統的な形式に留まらず、常に新たな構図や表現スタイルなどを研究し続けるアーティストの一人であり、強烈な感動を観る側に引き起こす。彼女のクリエイティブな探求は寓意的な激しい流れを進み、それぞれの瞬間に個性的な叙情的概念を組み入れる。私が感銘を受けた最新の作品のひとつ「大輪の華」には、書に対する私の概念を遥かに超えるものが表現されていると言えるだろう。線に激しい色を加えたいという欲求、そこに技巧の正確さが重なった結果、絵画的芸術のフィールドへと広がり、妹尾華岑を一人の“画家”足らしめているのだ。

クリスチャン ビエ(フランス芸術家協会会長)
©株式会社 麗人社
 

感性の豊かさと鋭さ

妹尾華岑はまごうことなき書家である。更には、書家の通念を超えた、斬新でスケールの大きな墨象家、造形作家でもある。そのことはここに掲出の3点の作品からも理解できることであろう。 「花香る」は謂わゆる読める書、文字性に重心を置いた作品だが、たっぷりとした墨痕と鋭い書線からなる豊かさと緊張感の綯い交った交響は、新鮮で今日的な韻律を奏でている。一方、墨象と呼べる「雲」にも根底には文字があるのだが、何よりも視覚的に、空をおおい尽くそうとする勢いある雲塊が一隅から湧き上がってくる、そしてその雲が予兆する時間性をも孕んで目を離せなくする。「マルタ島・青の洞門」は圧巻だ。匂い香りたつ濃墨と淡墨の織りなす圧倒的な存在感、そして青の着彩の微妙な配色は、すぐれてこの作家の感性の深さと鋭さを示すものに他ならない。

中野 中(美術評論家)
 

研ぎ澄まされた造形の感性

書の枠に縛られない自由な立場で、現代書の新しい可能性を追求し、高きを目指して意欲的に書の制作を続けている妹尾華岑氏である。師から離れて20年程になる。まず、掲出作品の中で、「上下」「翠」「雅」の作品に注目したい。「上下」は度肝を抜く斬新な表現で、黒をバックに浮かぶ色の対比、形が美しく、極めて現代的だ。「翠」のスピード感、淡墨の色調も心地よく、「雅」の第一画の点画が空間に韻いて絶妙。つづいて、陶潜の五言古詩「飲酒」。詩の中でも「采菊東籬下、悠然見南山」の対句はよく知られている。単体行書の文字の大小のリズム、潤渇の美しい韻きが見事で、白の活きた構成は申し分ない。「百折不撓」の気迫のある堂々たる美しい書線の流れも優秀。この魂の入った造形のセンスは堪らない魅力である。

青木伸一(書道評論家)
 

書と絵画が融和する新しい造形

妹尾華岑の書作品は、従来の書の概念ではとても括れない。逸脱しているというよりは超越しており、書的絵画といえば良いのか、逆に絵画的書と呼ぶべきなのか、とにかく書と絵画が融和してまったく新しい造形世界を開拓している。例えば「静黙」ではほとんど文字性は後退し、まるで抽象絵画を見ているような思いを抱く。飛白と濃墨の塊、わずかに刷いた色、白の余白が無音の静けさを喚起する。わかり易いのは「春の訪れ」であろう。大地の力強さを思わせる、太々とした〈土〉の字から色とりどりの草々が芽を伸ばしている。鮮烈な色彩が墨色と反撥・融和しながらその生命力を豊かに、広々と空間に響かせている。「林」「峰」「木洩日」は同手法、コンセプトの作品で、妹尾が良く用いる描写法である。「林」では林の文字を淡墨で書き重ね、字とも樹図ともみれる左半身を前景に濃墨で挿入して重心のバランスをとりながらインパクトを与えた。「峰」では山峰を淡墨で形象し、その上に飛白を伴う濃墨の速筆で峰字を筆書し、奥行き空間をつくり、「木洩日」ではやはり淡墨で林のイメージを書き、金字で〈陽〉の字を入れ、左右から光線を金で加え、木洩れ陽の実感を巧みに表現しみせた。他に甲骨文字による「舟」や、「古代アンモナイト」「ヨセミテ国立公園のハーフドーム」など現代的な感覚の絵画性の強い作品も妹尾のパーソナリティだろう。

中野 中(美術評論家)

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